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2013.05.29

任され認められて自身

食欲、睡眠欲といった生理的な欲求があるが、
現代に生きる私たちはこれが満たされないで困ることは通常の生活の中ではあまりない。

それらが満たされると、今度は安定や安全を求めるようになり、
さらには、どこかに所属していたいという気持ちや愛されたいという思いが出てくる。

いわゆるマズローの欲求段階説だが、
この「どこかに所属していたい」という気持ちや「愛されたい」という気持ちが
家族の枠を超えて、外の世界でも「認められたい」「わかってほしい」という思いになっていくという。

この説の真偽を問題にするつもりはない。
5つの段階にきれいにわかれるかどうかは別にして、
そういった欲求があることは疑いの余地がない。


不登校や引きこもりの生徒は、
家族を超えた集団の中でこれらの欲求が満たされていないわけだ。

読売新聞の記事で、ひとつの文章が目に留まった。

『たくさんの責任を任され、それと向き合ううちに、僕は僕でいいんだと自信を持てるようになった』
これは不登校の子のための私立中学校を出て、現在大学生の男性の言葉だ。

たくさんの責任を任され…
そう、責任を任されるということは認められるということ。

家庭の外の世界ももちろんだが、
まずは家の中でどれだけ子どもを認め任せているだろうか。

過保護でみんな親がやってしまうのも
過干渉であれこれ指示を出したり批判したり
放任で関わりを持たなかったり

いずれも「任せ、認める」ということからは遠い。

学校や社会に求める前に
親自ら子どもを認め、任せる部分をつくっていきたいものだ。


引用した記事は「続きを読む」から



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2012.11.08

「褒めれば上達」科学が証明

「子どもは褒めて伸ばしましょう!」
…よく言われる言葉です。

一方では、「子どもは厳しくしつけましょう」とも言われます。

きっとどちらも正しいのだと思いますが、
たくさんの人が行っていたり、昔から言われているからそう思うということも多かったのではないでしょうか。

「子どもは褒めて伸ばしましょう」という言葉に
科学的な根拠がひとつ加わりました。


子どもは正直です。
自分が納得していないのに、言葉だけで褒められても決して喜びません。
子どもが自分の心の中で
「頑張ったなぁ」と思った瞬間を逃さないで褒めることのできる親でありたいですね。

記事は、…続きを読む… からどうぞ!
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2010.09.08

幼児教育こそ大切

幼児1人にかける教育費が月平均1000円未満の世帯が23.3%にもなるといいます。

幼児のうちからいわゆる英才教育といわれるような塾などに通うことは私は決していいとは思いません。
ただ、読んであげる絵本を買うだけでも月に1000円未満ではなんともさびしい感じがしました。

私が子育てや生き方で私が尊敬する方に 「雨のち虹。時々とまと」の運営者のとまとさんがいらっしゃいます。
現在は らもちゃん を大切に大切に育てていらっしゃいますが、すごいなぁと思ったのはまだ「らもちゃん」がおなかにいるときです。
とまとさんと旦那さんはおなかのお子さんにさかんにはなしかけていらっしゃいました。
…それも思い出したように名前を呼ぶような中途半端なものではなく…

まして生まれた「らもちゃん」にかける愛情は並々ならぬものがあると思います。

もちろん大切なのはお金をかけることではないのですが、経済状況が厳しくなったときに真っ先に家庭内の予算を削る項目になるのはさびしいですね。

記事は「続きを読む」に紹介しておきます。続きを読む

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2010.09.07

「行きなさい」と言われて高校へ行っても…

「○○しなさい」と言って子どもがその通りにしてくれるのを親はどう思うのだろうか。
きっとそれが幼い子なら「素直ないい子」になるのかもしれない。
でも、それが小学生なら?
そして中学生なら?

仮にそれが大人だとしたら単に上司の言うことに「ハイ!」と言って忠実に従うだけでは役に立たない。

…そう考えるとどこかで「言われてする」ことから「自らする」ことに転換する必要がある。
そう、それが思春期の大きな役割なわけで、それを無視して単に子どもを親の思いの通りに育ててはいけない。

毎日JPに
「新教育の森:学校なぜやめる? 卒業までに高校5.9%、大学12.6%が中退」
という記事があった。

そこには自分の思いよりは、むしろ周囲の勧めで進学したものの意欲が継続しないで中退する子の姿があった。
調査によると高校を中退した子のうち、5年後の調査で「仕事をしている」子が47.6%
「学校に行っている」子が17.3%
しかし、どちらにも行っていない子が20.8%もいるという。

将来のひきこもりの予備軍とも言える実態にびっくりする。

文科省が今までこういった実態そのものさえつかんでいなかったことに驚くが
高校中退率が約2%というと少ないように感じるが、人数となると6万人を超すというのに驚く。

もっとも私たちに日本の全体のことをどうすることもできない。
でも、わが子のことに関してはできることがたくさんあると思う。
考えてみたいものだ。

以下記事の一部を紹介します。

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 ◇進学しても道半ば
 せっかくつかみ取った進学という選択を、道半ばにしてあきらめる……。中退は学校生活の一大事だ。最新のデータに基づくと、高校で5.9%、大学では12.6%の若者が卒業前に学校を去る計算となる。いったい何が起こっているのだろう。【遠藤拓】

 ◆やりたいことなくて

 高校をやめたところで、その先の展望が開けているわけではなかった。

 双代恵太さん(28)は千葉県内の定時制高校に通い始めて1週間で中退の道を選んだ。「高校に行ったのも、周りに行けと言われたから。したいことも特になかった」

 中学の担任に勧められて進学し、仲のよかった2人の友人も一緒。でも、1人が「遊びは今しかできない」と言うと、誰からともなくやめる話に。高校の先生や親には止められなかった。

 それから10年以上、さまざまな仕事を経験した。履歴書に高卒と書き、ウソがばれてクビになったこともある。周りはほとんどが高卒。「一人だけ落ちこぼれているみたいでイヤだった」

 黒澤香さん(25)が東京都内の私立高校をやめたのは、高校2年生の夏休み前。「人間関係に負担を感じていたのかもしれません。学校に行くたび、言いようのない疲れを感じました」

 2年生の5月、母親に「少し休んだら」と声をかけられると、糸が切れたように不登校になった。2カ月ほど寝込んでから退学。体調を崩しながらアルバイトに挑戦し、分かったのは「高校を卒業しないと、働きたいところで働けない」ということだった。

 双代さんと黒澤さんは現在、広域通信制の屋久島おおぞら高校(鹿児島県)に在籍し、新たな将来を模索している。

 文部科学省の調査によると08年度、高校の中退率は2・0%。3年間に換算すると入学者の5・9%が学校を去る。内閣府のアンケート調査では、04年度に高校を中退した人のうち、09年に「学校に行っている」と答えたのは17・3%。47・6%が「仕事をしている」とした一方、「仕事にはついておらず、学校にも行っていない」ケースは20・8%にのぼった。

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2010.09.02

あんまりお膳立てをしない

子どもたちの前に立ちふさがる適度なハードルをあまり取り払ってしまってはいけない。
それが昨日の 課題の先延ばし の内容でした。

数日前の記事ですが、
こちらは “子どもたちにあまり過剰なお膳立てをしない ”ということでしょうか。

子どもを遊ばせるのに
・何をして遊ばせるか
・遊び道具があるか
・誰と遊ばせるか
…そんなことは本来いらないんですね。

“子どもは遊びの天才”
危険さえなければ子どもは放っておけば誰とでも一緒に遊べるし、
何もなくても遊びを作り出すのだと思います。

…もっとも“公園デビュー”などという言葉があるような地域では難しいのかもしれませんが…。

私も、そして我が家の子どもたちもそんな環境でなくてホントに良かったと思います。

以下新聞の記事を紹介します。

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遊びのもつ力=西野博之

 「ここは何にもないんですねぇ」「どうやって遊ばせたらいいんですか」。
幼児を連れて初めて遊びに来た母親が、戸惑いながら声をかけてきた。確かに、町の公園で見かけるような金属で作られた既製の遊具はひとつもない。

 一緒にいた3、4歳くらいの男の子は、じっと立ったまま他の子が遊んでいる姿を目で追っている。そしておもむろに歩き出し、落ちていたシャベルを手にとって、土の山に登った。そこで穴掘りに夢中になっている子どもたちの横で、穴を掘り始めた。

 しばらくしてその場に行ってみると、いつの間にか他の子たちと一緒にバケツの水を穴の中に流し込んでいる。既に服は泥だらけ。ハラハラ見守る母親を横目に「常連」の子にならって靴も脱ぎ捨て、裸足になって足で水をかき混ぜている。足の指先にまとわりつくヌルッとした泥の感触。バシャバシャと足でたたく水の跳ね返り。飛び散る水しぶき。初めて会った子ども同士が歓声を上げている。この後、穴はどんどん大きくなって、やがて泥のお風呂へと変わっていったのだった。

 遊びにはプログラムもマニュアルもない。やってみたいと思ったことを手がかりに、自由な発想で作り、展開していく。ゴールも正解もない。大人が用意したマニュアルには必ず上手下手という評価が生まれる。子どもにとって、それは遊びとはいえない。

 いまの子どもの世界には、やりたくもないことをやらされて、いい悪いを他人から評価される関係がはびこっている。この関係から外れて、子ども自身が主体となって、五感をフルに使い、自由にやってみたいことに挑戦できる遊びの世界を、幼いころから手に入れておいたほうがいい。

 どうやったら大人からほめられるかではなく、自分の気持ちに正直に快、不快を感じられる心と体をはぐくむこと。これは遊びのもつ大きな力だ。そしてこれこそが、生きていくうえでとっても重要な力となっていく。

 土や水、廃材があって、ノコギリやカナヅチなどの工具が使えて火をおこせる環境がある。できる限り「禁止」の看板を持たない冒険遊び場(プレーパーク)を地域の中にもっともっと増やしたい。

毎日新聞 2010年8月29日 東京朝刊

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